豊かに生きる知恵(4)

家族の絆の会 会長

国嶋 久善

古代ギリシアのヘラクレイトスは、万物は流転するという言葉を残したといわれます。同じ川に二度入ることはできない。二度目に入る川は、最初の川と同じように流れているが、先ほどより上流を流れていた水である。日本の鴨長明の『方丈記』に「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とあるのを連想するかもしれません。絶えず変化することの中にこそ安定した価値があると読むこともできます。

                 

自然界の循環を止めるようなことをすると、環境破壊が進み、人間が住めないような地球になってしまいます。化石燃料の使用は、ご存知の通り、一方通行です。水はいくら使っても雨になって戻ってきますが、石油は消費すると、循環してもとの石油に戻りません。お金を稼ぐだけの一人勝ちの企業が存在して、お金の流れを止めると、不況になり、社会が破綻します。血液の流れが悪くなると病気になってしまいます。

家族の関係も絶えず変化しています。子供が生まれ、成長し、独立するという過程で、家族の環境はどんどん変わっていきます。親が死に、あるいは別れ、家族の構成員が変わるとまったく別の家庭になってしまうこともあるでしょう。
人情として、安定した変わらぬ幸福な状態のままでありたいと誰しも願うものであります。しかし、自然の原則はそうなっていないのです。伊勢神宮は二十年ごとに破壊し、新築することで、古来の変わらぬ姿を現代に伝えています。ものを捨てたり、壊したりすることは、「もったいない」とう美徳がありました。今の若い世代にはそういう感覚が薄れているといいます。しかし、古い世代がもっている「もったいない」という感覚がかならずしも正しいともいえません。自然界には信じられないほど無駄で、もったいないことが起きています。たとえば魚は数万の卵を生み、その内たった2個が成魚になれば現状維持できるのです。

無駄があることと、破壊することは別であり、今風の言葉でいえばリサイクル(循環)しているかどうかという観点が大事なのでしょう。リサイクルならば捨てていることになりません。次の原材料になるだけです。

目の前の価値に執着せず、変化に身を委ねるしなやかさを持ち、ゆったりと変わらぬ価値だけを追うとき、心の幸福が訪れるに違いありません。(おわり)

新シリーズ 大人が答えられない子供の疑問(2) 宇宙の果てはどこ?

地球は丸いから、海の向こうにどんどん行くと外国を通ってまた日本に戻ってくるんでしょ。
宇宙飛行士みたいに空に向かって、どんどん行くと、その先はどうなってるの?


夜空を見上げると空気の澄んだ日には無数の星に吸い込まれそうになります。どこまで宇宙は広がっているのだろう? 誰もが抱いたことのある疑問だと思いますが、大人になると日々の忙しさから、そんな疑問すら忘れてしまいます。

われわれは3次元の世界にいるといわれます。1次元が点であり、2次元が平面ですから、3次元はタテ・ヨコ・奥行きの空間的な広がりを意味します。立体ともいえます。箱でも建物でも、立体物には絶対に境界(フチ)があります。昔、地球は平面と考えられ、ずっと永遠に彼方まで広がっているか、もしくは、どこかで崖になって終わっていると考えられていたそうですが、実は球状であり、どこまでも進んでいくと同じ場所に戻るということが今では常識的にわかっています。つまり、地球は平面ではなく立体だとわかったわけです。

そして、今、われわれは日常生活において、すべては立体であると思っています。目で見たり、触ったりして、五感を通じて、すべて立体だと認識しています。しかし、そろそろ、それが錯覚であることに気付かないといけません。宇宙が立体であるならば、必ず果てがあるはずなのです。もし、果てがあるならば、その外側があるはずです。そうやって考えると更にその外側と、キリがありません。ということは、宇宙が3次元であるという考え自体が間違っていると断定せざるを得ません。無限に広がる宇宙なんて大嘘です。

テレビ番組で離れた場所のものを透視できるとか、事物を瞬間移動できるとか、未来を予言したり、過去の人と交信できるといった超能力者が紹介されます。マジックにはタネがありますから、人間の錯覚を利用しているのですが、マジックではなく本当の超能力だと自称する人もいます。ほとんどが偽物かもしれませんが、前述のように宇宙の根本を考えると、物理的な限界(人間の常識)を超えて何かができる人が本当にいるとしても、特に不思議はないのです。そして、さほど驚くことでもないのです。

生活の利便上、3次元(立体)的にものごとを考えましょうという程度に過ぎないことを、よーく認識すべきです。このことが分かれば、つまらないことに囚われなくなります。地球は丸いので、本当は土地というのは曲がっているのです。しかし、不動産の売買をするときに、土地は平ら(平面)であるという前提にしないとややこしいことになります。そうした便宜上の認識と、本当の実態を混同してはなりません。

コンピュータ・ゲームで仮想的な現実(バーチャル・リアリティ)の中で遊ぶことができますが、実はこの世界そのものが仮想現実に他なりません。そのことに気付けば、あまり物事にムキにならなくて済みます。今の子供はテレビやゲームの世界に入り込んでいて、現実というものが分からなくなっているといいます。だから、平気で人を傷つけたり、殺したりすると。しかし、そういう大人もこの世界を現実と思っているのであれば、同じことです。ゲームのポイント獲得に熱中する子供と、必要以上に金儲けに熱中する大人は、同じレベルです。どちらも必死なのですが、一段上の次元から眺めると、何と無意味なことに一所懸命になっているのだろうかと不思議でたまらないのです。ゲームとはいえ、やる以上は一所懸命やるのだということならば素晴らしいことです。しかし、ゲームをゲームとわからないではまってしまうのはいけません。

宇宙の果てとは、われわれが、五感と、五感を補強するために作った道具を通じて、ぎりぎり認識できる範囲という以上に深い意味はありません。

(良書紹介)Infinite Love Is the Only Truth: Everything Else Is Illusion

Infinite Love Is the Only Truth: Everything Else Is Illusion
(無窮の愛だけが事実〜その他すべては錯覚〜)

David Icke(デービッド・アイク)著 2005年

著者のデービッド・アイクは、プロサッカー選手、BBCのニュースキャスター、英国緑の党の代表などの経歴を持つイギリス人です。タイトルの通り、すべては錯覚であり、本当に存在するのは愛だけであるというのが、本書のテーマになっています。

われわれが現実だと思っているのは、映画マトリックスに描かれたような宇宙的なコンピュータ・プログラムによって記述された世界である。そのプログラムを螺旋(らせん)状のアンテナ形をしたDNAでわれわれは受信している。周波数を変えると、テレビやラジオのチャンネルが変更できるように、われわれのDNAは「この」世界にチューニングされているにすぎない。

太古の昔から地球を支配してきた爬虫類系宇宙人は、人々が互いに争い、憎み合うよう仕向けてきた。その人々の憎悪の念が彼らのエサになり、ますます力を増していく。

地球の人類・われわれがすべきことは、この錯覚である現実に早く覚醒し、貪欲や憎しみといった感情をなくすこと、そうすればエサがなくなった彼らは力を失うことになる。

本来われわれはすべて一つであり、そのことに気付けば、互いに争うということ自体がありえなくなる。

以上が本著の主要なポイントです。この本はまだ日本語訳されていないため、英語の勉強として読んでみるのもよいかもしれません。

他に日本語訳された著作もありますし、下記のホームページではデービッド・アイクの情報が日本語化されて紹介されています。

デーヴィッド・アイク日本語版 http://www.davidicke.jp/

アメリカの貿易センタービルの陰謀を究明したことで有名ではありますが、そうしたセンセーショナルな部分よりも、もっと深いところに彼の主張はあります。

しかしながら、インターネットで世界がつながっているのをあらためて実感します。テレビはバカ番組・クイズ番組ばかりです。

(読者投稿)  〜愛情から同情へ〜 夫婦愛の一形態

印旛村在住(女性)

Kさん

家族の絆のニュースに目がとまってから、絆とは何かと今日まで考えてきました。私の体験したことをお話しすることて、同じような問題にぶつかっている人が「どうして私だけが」という思いが少しでも軽くなればと思い、筆を執ることに決めました。

私と主人とは熱烈な恋愛の末、結婚しました。しかし、幸せな結婚生活も束の間のこと、主人は酒癖も悪く、気性も激しい人で、私に暴力をふるうことも決して少なくありませんでした。そんな主人に嫌気がさし、何度も別れようと考えました。そんな夫婦関係でしたが、結婚して四十七年たち、子供二人も独立し、これから私も自分の時間が持てると思っていた矢先の平成十八年十二月中旬のことです。人生まさかの坂が我が家にふってきました。

主人が自転車で転倒し、脳挫傷になったのです。言葉も出ない、おしっこも判らない、歩行もつかまってやっとの状態で、四十日間入院しました。負けず嫌いで、人から指示されるのがイヤな主人は自分との葛藤に苦しんだと思います。時には目に光るものも何回となく見て、私の悔しさよりも、介護してもらっている方がよっぽど辛く悔しいのだと思いました。

主人が私の介護なくして生活できなくなったとき、私の心境は大きく変わりました。それまで傲慢な主人に対して抱いていた不満、腹立たしさ、ほとんど憎悪に近い感情が、私なくしておしっこにも行けない無力な存在に変わったとき、私が面倒を見てあげないといけないという同情をベースにした愛情に変わったのです。

私たちの結婚式の祝辞をいただいた中に、夫婦とは自転車の前輪と後輪のようなものと言っていた言葉を思い出し、主人の元気な姿をもう一度復活させるために、自分に負けないことと言い聞かせ、今日まで来ました。いまでは言語が大方でるようになり、ゆっくりですけど、話しもできます。歩くのもゆっくりですけど、歩けます。人間というのは生まれて二本足で立って、最後は四本足になるというけれど、いまは三本足で支えが必要ながら歩いています。

丈夫なほどではなくても、よちよち歩きでも、この人が生きている限り、年金が当たりますので(笑)、私の生活も少しは安泰です。年金が切れると夫婦の縁も切れますので、もう少し長持ちさせようかな、喧嘩しながらでもあと二、三年元気でいてくれればと思います。よく赤い糸で結ばれたといいますが、私と主人は黒い糸で結ばれたので、これ以上は悪くならないと思います。

私たち夫婦を蔭に日向に励ましてくださった皆様、本当にありがとうございました。今では通所デイケアに行って日、一日と元気になっています。冬は必ず春がくる。自分に負けないこと、いつも今日一日に感謝してこれから先残された人生、生かされている命を大事に、一歩一歩すすんでいけたらと思います。


お見舞いに行ったとき、気性の激しいご主人が、病院の人を怒鳴りたくても声が出なかったのを思い出します。

別れようと思ったけれども、支えなければいけないと思った。これこそ本当の家族の絆だと思います。お互いのわがままを捨て、お互いの気持ちになって思いやりの心で接することで、五十年前の結婚当時のような青春時代の愛を取り戻した、夫婦の絆の良い実例です。

それから、奥さんの支えが何よりも大事です。そのことに老後になって気づくのではなくて、今から奥さんを大切にしなければなりません。

なかなか自分の家のことを言いたくないものですが、話してもらうことで心に響く人もいると思います。投稿いただいたKさんに感謝いたします。 (国嶋)